正直なところ、英語は不得意なままなのである。
(がーん!!)

分からないことが沢山あるし、
ほぼ毎日、なんだかの形で悩む。
いつまでたっても半人前な。バイリンガルとは名ばかりだ、
と日々落ち込む(のであるよ!)。
だから、
胸を張って自信を持って、英語、得意です!って言えたり、
英語を教えたりできる人、本当に尊敬です。

ぶっちゃけ、耳に入ってくる英語が、どうして、どうやって脳みその中で処理されて、
理解っていうもんに至っているのか、仕組みが分からないというか、
それを考え出すと、本当に自分が理解しているのかどうか、もんのすごい不安になる。
(ない?そゆの。ない???)

ちょっと違うかもしれないけど、まあ、英語という括りで言うと、
ニューヨーカーって呼び方にも
若干なんてもんじゃない抵抗が未だにある。
知らないことが一杯あって、とてもじゃないけど慣れっこは気取れない。
タクシーの運転手さんなんかと話していると、
大体、ニューヨーク何年いるの?って話に発展するんだが、
○○年って答えると、みな口を揃えてニューヨーカーだね、もう、って言う。
けど、妙に照れくて「うーん、そうなのかな?そうなんだろうね。」って答えちゃう。

どうか笑ってやってくれっ。

まあ、そんな不安やこっぱずかしさを抱えつつも、
それでも英語を使って、ここで暮らしているっていう意味では、
自分の神経もそれなりに図太いと思う今日この頃。

ブログ、久しくアップデートしていなかった。反省。
でもね、ネタ切れとか、時間がないとか、
そういう理由からくる滞りでは、実はなくて。
書いては、アップするのを躊躇して、の繰り返しが
ここ数ヶ月続いているのです。

なんというか、文字の持つ力というか、
一度文字に起こされて、パブリックになった後の
一人歩きの部分に若干ですが臆病になっているのかも。

ないですか?そういうこと。

Blah, blah, blah….

ちょっと先になりますが、
4月13日(水)はLanza’sです。
詳細が分かり次第、お知らせいたします!

ホリデーの匂いプンプンな季節です

気がついたらthanksgiving、そして気持ち長めの週末も
あれれ、あっという間に終わってしまったじゃないですか(汗)。
ネット界隈もBlack Friday, Cyber Mondayと言いつつ、
早いところではthanksgiving前の月曜日から
セールを前倒しで始めてるし、基本、Black Fridayの週末は丸々そのままセール。
そう、結局のところ「ものが売れない」ホリデーの呪縛からは解き放たれていないような印象。
それでも、Black Friday名物と化している
Walmart, Target, Best Buyなどのアメリカの量販店の客の乱闘騒ぎは
ものが売れなくても、これはある、ってなお約束通りの展開。

今年のthanksgivingの週末は、母がこちらへ来ているせいもあり、
友人宅にご飯に招かれた夜以外は、殆ど家で過ごし、
色々とやりたいことを片付けたりしてました。

そのやりたかったことの一つに、一枚目のアルバム、
and it beginsのデジタル配信がありまして、
目下1月15日の配信を目指して納品準備中です。
しっかりタイミングが決定して、準備が整いましたら
こちらのブログや、メーリングリスト、
FB、twitterなどを通してお知らせしたいと思います!

余談ですが、、、
FBと言えば、あのFacebookの過去の写真を振り返る機能は面白いです。
(って、ちょっとFBにも書いた気がしますが。)
改めてFacebookは学校のYearbookが発想の基にあるっていうのが理解できるし、
連用日記に通じる、単純且つパーソナルなことではあるけれども、
アカウントを持っている人、各々の「その日」へのスポットの当て方がいいというか、
ソーシャルメディアのプラットフォームであるFBと
ユーザーの距離感を縮める、ちょっとした温もりを生む切っ掛けになっているような気がします。
例えばですが、時間の流れの早い、今を全てとして捉える、ライブ感があってのtwitterや
データベース的、コレクション的な発想のpinterestにはできない切り口かな、って
ちょっと思いました。

【追記】
Thanksgivingの週末最終日は、とても寒い夜になりましたが、
今年初のダウンコートを引っ張りだし、Jazz Standardへ
Maria Schneiderを聴きに行って、たった今家に戻りました。
行ってよかった!誘ってくれたSeung Heeに感謝。
久しぶりにGulnaraにも会えたし、パイも美味しかったのも忘れてはいけない!

こんな週末です

GM5 Test Fuyugaki
柿は英語でpersimmonと言いますが、お店でFuyu Persimmonってラベルが貼られていて、
ああ、冬、そのままだ!と感動して買ってしまった、その柿。撮ってみました。

以上。

と、〆てしまうと
なんだか勿体ない気がするのでもう少し。

ツアー日程の最終コーナーを曲がろうとした時、
ワタシのうたの師匠であるマーク・マーフィーの訃報を受けました。
これに関しては、ライブのMCでも、そしてFBでもつぶやき的に触れましたが、
まだ気持ちが上手にまとめられなくて、まとめて何だかの文章にするには至っていません。
(多分、英語で書くことになるかな、って思ってます。)
いまはマークとのレッスン(ピアノはやはり近年亡くなったジョシュ)のMDを
ちょっと聞き返しています。
学びに終わりはないな、と再確認しながら。

忍者なら手裏剣、騎士だったら弓矢

秘書の仕事というか、裏技というか、奥の儀というか、
忍者なら手裏剣、騎士だったら弓矢のような存在として、
Slip Noteというものがある。(slip memoって呼ぶ人もいると思います。)
メモを忍ばせるというか、すっと目の前にメモを置くアクションのこと。
もちろん、手裏剣、弓矢の解釈が一般的な見方かどうかの責任は負いかねます!爆

さてこのslip noteこれをどういうシチュエーションで行うかと言うと、
会議がバッチリ佳境に入ってる部屋にツカツカツカって入って、上司に渡すわけです。
四角い紙(ポストイットとか?色は派手なほうが効果があるとかないとか・笑)に
Your next meeting is about to startとか、
Your boss is asking you to see him NOW!とか、
Finish it up & go to room ####とか、
You’re LATE!とか書いて折って手渡し、もしくは目の前に置いてくる。
それこそ会長やら社長やら、シニアエグゼクティブが一同に揃った大きなミーティングでも、
one on oneのミーティングでも、客人が一緒であってもやります。

大きい音でノックすると会議の流れを止めるから
ノックしないでドアを開けて入るか、もう、聞こえるか聞こえないぐらいの音でノックするかしてから
ツカツカツカっと(笑)。
みな、基本的に秘書が入ってくると、誰を呼びにきたんだろうって見るから、
ニッコリ微笑んでゆっくりと歩く。メモを渡す。去る。
結構な緊張感です。度胸が要ります。まあ、流石に今はもう慣れましたが。

で、ワタシ的にも最も嫌なのが、ほかの秘書の代わりに
自分の上司ではないエグゼクティブにslip noteをしなくちゃいけない時。
大体、自分の上司より身分が上の、役員級の方か、同じぐらいの身分の人が殆どで
その方の秘書からお願いされちゃう。当然、断れない(笑)。
人によっては、「 🙁 」のマークを忘れずに入れてね、などと指定してくる。

基本的に、slip noteされると誰しもありがたく思いつつ、
同時にうざい。(ったら、うざいに違いな~い!)
目覚ましのsnooze機能を人間がやってるようなものなので、
もうちょっと寝かせておいてくれ~(もうちょっといいじゃないか~)
っていう感じのうざさが顔や声、酷いときは言葉になって出るから、
こっちも、いや、ワタシだってslip noteしないで済むならしたくないんです、
でもね、あなたの秘書に頼まれてしてるんです、
そんなにうざがられても!って心で叫ぶことになるが、
ワタシの叫びが本人は届くことはない(笑)。

でも、こんなアクションを許されるのは、ごく限られたシニア・エグゼクティブに付いている秘書であって、
また、それをやられる当人たちも、
自分のステータスの高さを嫌味なく周りにアピールされる瞬間でもあるので、
傍から見てちょっとだけ面白いなあ、って思います。
(ワタシの上司はかなり陽気な人なので、即その場でワタシとメモをネタに、
即効その場で笑いをとろうとするので、その笑いに同調するというextra stepが伴いますが!)

日々、自分の面の皮がどんどん厚くなっていっている気がしてなりません(笑)。

untitled

書こうかどうしようか迷ったんですが、やはり書いておこうと思いました。

任天堂の岩田さんがお亡くなりになったニュースを元同僚から聞いて以来、
悲しい気持ちが晴れないでいます。あまりに早い旅立ちです。

ほんの5年と少々の短い間でしたが、ワタシはアメリカの任天堂で仕事をしていました。
(別に隠していたこでもないですが、
ブログで大っぴらにすることでもないので書いたことは無かったです。)
そもそもワタシがこの会社で仕事をすることになったのは、
運と縁の上に成立していることですが、抑々
岩田さんのような方が社長をしている会社で仕事をしたい、
と思ったことがスタートラインでした。
(一介の秘書のポジションとは言え、
そう思った後に、一転、二転して実際に仕事が回ってくるところに
自分の運の強さを感じますが・笑)

あの方の素晴らしさを文章にするのはワタシには到底無理です。
なので、糸井さんのところのインタビューのリンクを代わりに載せておこうと思います。

岩田社長、安らかにお眠りください。

http://www.1101.com/iwata20150711/index.html

no title

皆、誰かの何かに成りたいんだと思う。
その「誰か」がたくさんの人の場合もあるだろうし、
「誰か」がたった一人の場合や、もしかしたら
自分自身って人だっているかもしれないけど。

だから、その「何か」には、それを尊く思ったり、
愛しく思ったり、憧憬の念を抱く「誰か」の存在が依りそうし、
「何かになろうとしている」人に対して共感や期待が生まれると、
その人が何かになる前に「誰か」が現れたりするんだよね、きっと。

(早々とビールを飲みながら、土曜日の夕方に思う。)

thoughts

keeping sanity or being ordinary have turned into wishful thinking,
that’s the sign when the peace has made the top list of impossibles.
that’s the day we have lost the meaning of normalcy.
that even prevents us from being a humble citizen to live amicably.

if there’s anything i have learned through that day,
that would be the sense of awareness to my nationality –
where i came from and what i am.

remembrance of the day we have lost the meaning of normalcy.
i keep you, all souls who have left this ground on that day,
in my thoughts, in my prayers.

3 years mark.
forgetting never has a chance to be an excuse.

03/11/2014

12年の歳月

今日のNYは久しぶりに暑く、秋分の日を迎えるまでは
まだ暦の上では夏なんだよと言わんばかりです。

あの日は、もう少しカラッと湿度は低めで
日の光は確実に秋を感じる朝でした。
12年。
時の経つのは早いものです。

最初の数年は、テレビで追悼番組やドキュメンタリーを見る度に
自分は死んでいたかもしれないんだと、考えたことはありました。
でも、いつの日か、そういう考え方は捨てようって思いました。
なぜなら、ワタシは生きているからです。

「◯◯だったかもしれない」という仮定は
実際には起こらなかったことであり、
当たり前ながら起こらなかった以上、
その「だったかもしれない」ことは
今にも、過去にも存在しないわけです。
存在していないことに縛られていては、
そこからは「◯◯にならなくて良かったね」という
起こらなかったことの肯定以外に何も生まれて来ないな、と。
多分、そういう仮定の世界に紐づく
怯える心を切り離す事が、ある日を境にできたんだと思います。

自分は生きていた、
今、自分は生き(かされ)ている、
これからも生きていこう、
っていう事実を受け止めて、感謝することの方が大切なような気がするし、
その方が、あの日に逝ってしまった人々へ
敬意というか、誠意ある、前向きな姿勢として示せるような気がするのです。

◯◯になっていたかもと思うとぞっとする、
っていう向き合い方というか、事の把握の仕方は確かにあります。
ただワタシは周り方々と
そういう向き合い方ではあの日を共有しないことにした、
ワタシの小さな選択だと思います。

そんな小さな選択を書き記すのも、
やはり、どんな次元に在ったにせよ
あの日を知る者として
あの日の話をし忘れてはいけないから、
だと思うのです。

http://nikki.mmkmmk.com/911.html

じーんと

夜になって、急に雨が激しく降って来ました。
春や梅雨というより、直感的に夏の雨の音って思ったのは
何故なんでしょう?
何気に外の気温は寒いと言うのに!

After midnight, the rain got heavier.
Oddly enough the sound made me think it’s a summer rain.
Not spring nor rainy June’s pouring rain.
I wonder why.
It’s still cold outside!

閑話休題

Blah, blah, blah,
let’s move on to the things I meant to talk…


誰かにとって特別な存在になれることは、人間として嬉しいことだと思う。
嬉しさの染み渡り方は人それぞれだろうし、
色々な次元の響きというか、なんというか、
心打たれた後の余韻というものもあったりして。

It is a very joyous thing that you become someone’s someone special.
The way the joy spread in your soul is unique and personal.
It has certain sound in different dimension, or say…
lingers after you are deeply touched by that joy.

例えば。
自分が歌って、その歌が誰かの何か特別なものになったとしたら。

Just as an example:
sing.
Then, if the song I sang becomes someone’s something special…

The thoughts of being someone’s something special literally occupy my will
and it will revitalize my whole being or give me the strength to keep going forward.

誰かの何か特別なものになったという思いというか、認識っていうのは
自分の意思を一気に占め尽くすほどの勢いで、
一個の自分に新しい何か、活ける力を授けてくれるというか、前に進む勇気を与えてくれるというか。

someone’s someone special,
someone’s something special.

誰かにとっての特別な誰か、
誰かにとっての特別な何か。

goes right to my heart.

じーんとくる。

何が言いたいのかよく分からないんだけれども、
大学時代からの旧き友達の結婚の知らせを受けて
嬉しくって、色々数日考えていて。
そして、なんとなく思ったことを書き留めてみました。

I couldn’t get a good organization of thoughts, could I?
I just wanted to jot down what I was thinking
after I received a happy news from the East,
a marriage of old-friend.

Yoko, congratulations!

容子ちゃん、おめでとう!

——–
Wednesday, June 26
MAMIKO 2 @ Tomi Jazz

    8PM – 11PM
    $10 Cover

    Mamiko Taira (vocal)
    Toru Dodo (piano)

Tomi Jazz
239 E53rd St
New York, NY 10022