thick skin – 面の皮

English followed by Japanese….
英語の後に日本語アリ….

When I watch the VOD of my Twitch stream,
I take a moment to catch anything I might have missed
and have a little self-review.
Sometimes, I even give myself a bit of credit, haha.
There are times when I come across comments that really sting,
ones I feel I should just let slide.
But since these comments are public,
I have to face them, process them, and then move on.
Even though I remind myself that everyone sees things differently, some words still hit hard.

This morning, I felt one of those blows again,
and it added another layer to my thick skin.
After years of performing and singing in front of people,
you naturally build up a resilience.
And while “thick skin” might sound negative,
it’s really just a natural defense—a way to stay calm and keep going.

Twitch配信のVODで一応、見落としたことや一人反省会をする。
稀に己を褒める会になる日もあるけど。笑 
時々、傷つくよなコメントというか、
気にせず流すべきようなコメントにも出くわす。
けど、それだって公に出ている以上は目にしなくちゃいけないし、
流すなり、消化するなりしないと前に進めない。
とは言うものの、やっぱり傷つくものは傷つくわけで。人其々受け取り方は違うし!
とか自分を宥めてみても、どーんとくるもんは、どーんとくるわけだ。

今朝も、そういう偶にやってくる「どーん」を食らった。
そして、面の皮がまた一枚、厚くなった。
長いこと人前に出て歌を歌ってると、面の皮も厚くなるわけ。
面の皮が厚くなるって悪い表現かもしれないけど、
自然に作られた防御壁、平静を保つための術のようなものだから!

14年の歳月

#14年

感覚的には5年ぐらい前の気がしている。
とても14年の歳月が経ったとは思えない。
それがいいことなのか、
悪いことなのかはわからないが、
時は狂うことなく、同じテンポで
14年、刻み続けた。

あの日は、ブルックリンの兄貴と
ちょうどチャットをしている最中に
ニュースが飛び込んできたように記憶している。
それとも、ニュースを見て
驚いて兄貴にテキストをしたんだったんだろうか?
この記憶の曖昧さをみれば、
ああ、14年経ったんだな、と信じられるか。

14年前に起きたことを、
9年前に起きたことを、
24年前に起きたことを、
そして
去年起きたこと(今も続いていること)、
そこから学んだことを、
これからくるかもしれない災害に
生かすには、どうすべきだろう?
っていうのを、
個々に真剣に考えなくちゃいけない時期にある。

#thoughts

we gather our collective thoughts and
make ourselves wise n’ aware.

そして、案外政府は役に立たないことも
忘れちゃいけない。
別に何もしていないとは言わないけど、
他国と比べて、どうも対応が明らかに遅いし手薄だ。
特に避難所に対する対応と
継続的援助に対する消極的な対応にイライラする。
(と、外側から見ているものとしては
苦言を呈さざるを得ない。
外野に何がわかるんだって言われたら、それまでなんだけれど。)

#思考

想像というのは、
無限に広がる希望にも
悲観にもなり得るが、
経験というのは、有限であれど、
事実であり、最強の道標だ。
想像も、経験も、
どっちが勝るわけでもなく、
前を進むために両方必要なもの。

って、3月11日の今朝、
頭に浮かんだ。

—–
振り返ってみても、
大したことを書いていない記事。
でも、やっぱり書き留めておいてよかった
とは思える。
—–

2011年3月のブログから
「今思うこと。」

今思うこと。

2016年4月のブログから
「the week of 4/11 thru 4/17: KUMAMOTO」

the week of 4/11 thru 4/17: KUMAMOTO

2001年9月の日記から(日記猿人から日記才人に以降した後頃かな?おぼろげな、遠い記憶)
「長い1日」

長い一日

video clip: Time Heals Everything

先日のホリデー週末の最終日の夜、いきなり、気まぐれにストリーミングをInstagramとClubhouseの二元でやったんですが、その日の最後の曲、Time Heals Everythingを載せます。インスタの方はReelで公開したので一部だけなんですが、試しにTikTokとFacebookのmamikomusicの方へ丸々アップしました。え?TikTok?ですよねえ。。。
Facebookのビデオだと、このWordpressのHPに上手に埋め込みができないんですけど、Tiktokだと埋め込みができる、っていう単純な理由です。なので、TikTok、フォロワーも限りなくゼロに近いですwww

この曲は、Jerry Hermanが作ったMack and Mabelというミュージカルの中からのナンバーで、ミュージカル畑の方々の間では超落ち込み系のバラードの名曲として知られていると思います。短絡的な説明になりますが、ほとんどのことは時が解決してくれるけど、あなたを愛することに終わりはないって感じの、時の流れっていうのは遅くて、酷で、苦しくて、人を愛するっていうことの苦しみ自体が描かれているような気がします。でも実はワタシ個人は、そんな歌の内容より、若干ポジティブに感じているというか、時間をかけて気持ちを浄化、昇華させていく歌として捉えて歌っているし、歌いたいなあって思ってます。(もちろん、辛いんですけどね、歌の中のキャラクターの立場であれば!)

@mamikomusic A clip from InstaxCH live on 7/4/22; the song called Time Heals Everything by Jerry Herman. #jazzvocals #弾き語り女子 #brooklyn #jazz ♬ original sound – Mamiko Taira

誕生日って

誕生日を気心知れた友人達に祝ってもらって、
ケーキのキャンドルを吹き消して、
ケーキ、がっつり食べて。
誕生日の過ごし方の王道。

誕生日の1月24日に
2004年に録音して、そのままお蔵入りしていた曲を
一曲だけ、シングル・リリースしました。
ぜひ、2月4日のBandcamp Fridayに
ダウンロードでお買い求め下さい!

👋 Sheep or Sheeps? – appendix for clubhouse profile

Sheep or sheeps?
Why in the world she’s using sheep in plural?
(Is she stupid?) – perhaps?
Thank you for your interest.
Here is the context to satisfy your curiosity…

I’m Japanese (born in Japan, raised in Japan up to the age 20). In my native language, sheep is countable individually. Sheep can be a group, but they are countable. “Sheeps” never renounced as “sheep” as to be in a singular form. It’s much natural to me to count sheep as we count other animals. I can’t help it! Cheers to individuality, cheers to being unique 😉

Upon joining in Clubhouse, I have created a new podcast program in cooperating with this alias taking “a” sheep as “a song,” and it showcases 9 songs weekly. *Ah-ha!* 9 sheeps = 9 songs. We count songs, don’t we?

Thank you for listening.
Thank you for supporting live music and jazz.

福福荘の福ちゃん

平日の夜だけど、久しぶりに映画を見たくなった。
アマゾンプライムで何か見ようか探していたら
福福荘の福ちゃん
という映画を見つけた。
最近は、日本の映画やテレビ番組も少し見られるようになってきたので、
面白そうなものは見るようにしている。
これは、かなり好みのストライクゾーンに入ってるかも。
なんていうんだろう?こういうコメディの感じって、
当たり前ながらハリウッドの制作会社(大小問わず)には作れないタイプのものだろうな。
全くないってわけではないんだけど、なんだろう?アジアの笑いとか美徳が詰まっているから、かな?

配役も素敵。
森三中の大島さんって前からチャーミングな人だなって思っていたけど、
映画見たら、ますます好きになった。
演技がすごく自然で、はまり役だと思った。

上條恒彦と六文銭のうた、久しぶりに聴いたけど、
なんか新鮮。
いい歌は、いい歌だよ、結局のところ。

遊んでみた。

デジタルというイディオムが浸透したことには、
喜ばしいことも、喜ばしくないことも
様々あると思うが、
ものを一貫して自分で作るっていう観点から言えば、
喜ばしいことが多めな気がする。

例えば、こんなことをして
気軽に遊べるようになったのも、
デジタルとテクノロジーの発展があればこそ。

Happy Friday, everyone.

時間は流れる

平成が終わる。明日にはもう令和だ。
MS IMEはまだreiwaと入れても令和は出ない。
よって、今日最初にしたことは単語登録。秘書はマメなのだ。

自分の生きている間に昭和、平成、令和と年号が変わるなんて想像もしていなかった。
ふと自分史というか、自分の生きてきた時間を考えてみた。
平成という時代の8割以上をアメリカで過ごした計算になる。
(厳密に言うと、平成30年の間の1.67%に相当する5年だけ日本に住んでいた計算?笑)
マジか!?

何か特別なことをしようと思ったわけではないが、今朝はなんとなく沢山コーヒーが飲みたい気分になって
仕事に行く前にスタバに寄ってVenti Latteを頼んでしまった(=誘惑に負けた)。
バリスタさんは、mamikooooo~と元気よく且つ正しく名前を発音してくれて、
ああ、名前を間違わない日も稀にあるんだな、
時代も変わったもんだな、、、って。

え?その程度?その次元?
いや、時代の終わりと、時代の始まりの境に垣間見た
極めて平凡且つ平穏な情景に感謝しているのです。はい。

近況報告

一月に入って、新年会、仕事始め、
なんやかんやありまして、
まあ、ポッドキャストはしっかり放送を続けていましたが、
みなさまの目には、比較的、わたくしめのweb上でのactivitiesは
静かに映っていたのではないかと思います。
でも、ワタシの身辺、確実に変化がありまして(笑)。
6年ぶりに犬持ちに復帰いたしました。

犬持ちという表現が、今の時風にあっているかどうかはさておき、
人生3匹目の犬を迎えるに至るまで、
はたして犬と生活することが、自分の今のライフスタイルに
好ましい状況なのか、自分に責任を持って育てる余裕が
精神的にも金銭的もあるのか散々悩んだんですが、
なんていうか、もしも運命のようなものがあるのであれば、
きっと出会ってしまうに違いない!みたいな根拠ない結論に辿り着き(笑)。
12月の終わりにNYにたくさんある犬のレスキュー団体の一つの
里親希望の審査(って言えばいいのかな?)に申請して
オッケーを年明けにもらいました。
(千里さん、まりちゃん、リファレンスになってくれてどうもありがとう!)

一応、子犬から生後7年ぐらいまでの犬は考慮に入れていたのですが、
縁、だったんでしょうねえ。
ケンタッキー州からレスキューされた、5匹兄弟のうちの1匹に出会いました。
仮の名前がついていて、アマゾンでオンエアされている
某ドラマの主人公のニックネームからとって
ミッジと呼ばれていた生後5ヶ月+の女の子。
5匹兄弟の中では一番小ぶりで、体つきも一人だけ違って、
犬というよりは、ミーアキャットを彷彿させるような風貌です。

ミッジという名前の響きがあまりしっくりこなかったので、
いくつか名前を候補に挙げて呼んでみたんですが、
まあ、当たり前ながら反応は特にしないですよね?
最後まで候補で残ったのが、
あさひ。
そしてネネでした。
まりちゃんに連絡を入れて、どう思う?って聞いたら
ネネがいいよ、ルル(前の犬)とネネ、いいじゃん、と。
じゃあ、そうしようかな、って思って、
最後に、両方の名前を順繰りに呼んでみたら
ネネには小さく反応したので、ネネで決定になりました。

ということで、ネネです。
よろしくお願いします。

ヘアクリップの話

高校に入って暫くしてからだったろうか。
それとも、中学の途中からだろうか?
その辺り記憶が怪しいんだが、
ワタシの頭方面、髪、短めというのが続いている。

長くてもボブ、そう、肩につかない長さが限界で、
そこを折り返し地点として、大体、夏、8月ぐらいだろうか?
発狂寸前にして髪を切り、ショートに逆戻り、、、
というのが繰り返されているわけだ。

そういうサイクルの中に身を置いているとあっては、
すっきり髪を束ねるっていう行為とは縁がなくなった。
顔を洗うのに邪魔だからという理由で、
ヘアバンドで額を出したり、ピンで留めるっていうのはあるけれども。

まあ、ヘアアクセサリーというもの、色々な種類が存在するが、
その中のひとつのヘアクリップ。
こう、二つの櫛が髪を掴むような、カニのハサミというか、、、
クリップというより、木材を抑えるクランプって言ったほうが
しっくりくるような。笑
まあ、それはさておき、
ヘアクリップは一番縁遠い場所にあった。
あれが世に出回るようになった頃、ワタシの髪は、
まとめるなんて無理なぐらいに短かったのだ。

未知の世界にえらく惹かれるのが人間、というより動物の本能だ。
隣の芝は青く見える、なんて表現が合うかどうかは分からないが、
どうも、ヘアクリップを使ったことがないことが、
人生の損のようにすら思えてくるから笑える。

そして、いま8月後半、秋も目の前なわけだが、
正に発狂寸前の中途半端な髪の長さにあり、
火曜日の夕方に髪を切る予定を入れてある。
んが!神様とはたまにイタズラをする。
仕事帰りに靴を探しにアウトレットの店に行った時のことだ。
色もよし、履き心地よし、値段もよし!なフラットシューズをみつけ
ご機嫌でレジに並んだらヘアクリップがレジ脇で売られていた。
それも、お気に入りのメーカーのものだった。
(ヘアクリップには無縁でも、カチューシャには縁があるので、
好きなヘアアクセサリーメーカーなんかが、一端、あったりするのだ、
こんなワタシでも!!)
ちらりと値段を見れば、5ドルちょい。て、手頃じゃないか。
サイズも、ちょうど、今の髪の長さでも挟める、
大きすぎず、小さすぎずときた。
買う?買っちゃう?試しちゃう?
ヘアクリップは私の右手にしっかりと握られていた。

(ちなみにアマゾンで同じものを見つけた。アウトレットでゲットした自分が誇らしく思えてきた。笑)

さて、人生初のヘアクリップ体験の感想であるが、
目から鱗である。
ヘアクリップを使ったことがなかった今までの人生は
やっぱり「損」だったと気がついてしまった。

やー、こりゃ売れて当然でしょう、
最初にこれを考えた人、すごいわ、すごい!

とバスルームで一頻り感動に浸り、
ピアノに向かって気持ち良くうたを歌った次第である。