村本博之さん。
先日のバンコクでの反政府派と治安部隊の衝突の
最中に起きた悲劇の犠牲者になった貴方。
ワタシの大切な友達、Sの無二の親友、仲間、同士である貴方。
貴方がこの世を去らねばならなくなったことで、様々な人のココロに大きな穴が開きました。
それは、大学時代の貴方しか知らないワタシのココロにさえ見つけることができるほどです。
沢山、色々な人のココロに開いた穴の数は、貴方の人間の大きさ、そのものなのかもしれません。
人間というものは悲しいかな、生死を目の当たりにして改めて命の尊さを知る動物です。
日ごろ、目先のことに囚われて生きていることの大切さを忘れてしまい、
つい、つい感謝の気持ちをもどこかへ置き忘れてしまいます。
ワタシもそんな馬鹿な、悲しい人間の一人です。
貴方がこの世を去ったことで、馬鹿な、悲しい人間のワタシは、
どれだけ命が尊いものなのか、
どれだけ今を悔いのないように過ごすことが大切なのか、
意味のあるものなのか、また思い出すことができました。
そして、貴方がこの世を去ったことをきっかけに、
暫く連絡がとれていなかった友人、知人達が世界のいろいろな場所で
Reconnectできたこと、そう、まるでそれは
貴方が最後に我々に齎してくれたプレゼントなのかもしれません。
命のあるもの、色々な形でその生に終止符を打ちます。
色々な終止符の中でどうしても納得がいかないのは、
人間が人間の手で命を奪う形で打つ終止符です。
いつから人間は、同じ人間、生き物であるのにも関わらず、
この命を奪う、絶つ、奪っていい、絶っていいという判断を
勝手に下せるようになったのでしょう?
命を奪い合ったところで、いったい何が変わるのでしょう?
何が良くなるんでしょう?
神様は、愚かな人間の繰り返す殺戮を
どのように思って見ているのでしょう?
ヒロさんの命と引き換えに、
また同じ銃撃戦に巻き込まれて命を失った人々と引き換えに
いったい何が変わるのでしょうか?
神様には、その来るべき変化が見えているのでしょうか?
ワタシには何も見えません。
ごめんなさい、本当に何も見えないのです。
ヒロさんのご冥福を心からお祈りいたします。
そして、ご家族の皆様、
ヒロさんを愛する全ての友達、同僚の皆様の
心安らぐ日が、心の傷が癒える日が、
例えゆっくりでも構わないですから訪れますように。