女心と秋の空、よく言ったもんです。
日本のツアーの総合の感想やら、最近考えることを書こう!
なんて思っていたら、全然違う話を書き留めておきたくなりました。
ころっ、
とです。ま、皆様は慣れていらっしゃいますよね、
ワタシの方向転換癖とでも言いますか…。
母が年一の訪NYを終え、帰国を明後日に予定しています。
既に4、5度目の訪問となると、
観光するというよりも、極端ないい方をすれば
ちょっと遠出して買い物に行きます、ちょっとハンバーガーを食べに行ってきます、
といった日常の平行移動といった趣なので、3週間弱の滞在期間中の会話も、
極めて日常的、他愛の無い会話に落ち着きます。
逆に言えば、こちらから何かサプライズを用意するのが年々難しくなり…(汗)
今回は、何も大きなイベント無しに帰すことになるんだろうか?
なんて考えていたら、丁度、今日のロッカフェラーのツリーの点灯を思い出し、
「!」と思って行きました。
え?人ごみ苦手な麻美子が?って思われた方はどんぴしゃ。
もちろん、ただ行って人ごみに混じるようなワタシではなく(笑)。
ワタシの昼の仕事の絡みで、2度ホリデー関連のパーティーがあって、
オフィスが小さい規模なので、ほぼ義務に近い状態で出席しなくてはいけなく、
そのうちの1つが、必ず、ロッカフェラーの某所であり、
必ずツリーの点灯式の日にパーティーをするのです。
それに母を連れて行った、というわけ。
なので、人ごみで気分が悪くなったり、目眩がしたり、ってことは
ありませんでしたのでご安心を(笑)。
パーティーの方は、なんだか今年は立ち上がりの盛り上がりっていうんでしょうか?
が全く感じられなくて、適当に飲んで、適当に食べて、
ツリーの点灯を待たずに家にかえろ!かえろ!って気分になり、家でテレビで木の点灯を見ました。
と、書いてしまうと、ここでチャンチャンッと終わってしまう。
しかしながら、上の話は本題に掠りもしないのです。
昨日、母はデパートに行って、cross-body styleの、
日本語でいう肩がけ、襷がけのバッグを買ってきた。
ワタシがcross-bodyの、マチのないプレーンで四角いものをここ4年ぐらい愛用していて、
どうやら、そういうものが欲しくなったらしい。
それはグレーの柔らかな皮の、よく縫えているカジュアルなバッグで、
ワタシも違う色で以前に買おうかどうしようか迷ったもだったので、ちょっとビックリ。
ふーん、やっぱ親子だな、と妙に納得したのだが、納得の波は未だ続く。
帰り道、地下鉄で移動中に母は、
その新しいバッグを見つけてから実際に購入に至るまでのデパートでの状況をワタシに
説明してくれた。やはり、買い物好きの細胞の生み出す興奮というのは
一駅、二駅の短い時間では足りないようで、
乗換えを含めて五駅以上は費やしていたように思う。
勿論、そんなワタシの中にも、彼女から譲り受けた買い物好き細胞は
確実に生きているからにして、ここでは極めて暖かな視線で
わが母の話に耳を傾けている図を想像して頂きたい。
一通りバッグ・ストーリーが終わり、丁度電車が下りる駅に差し掛かった時だった。
母が急に亡き父の話をしだした。
「麻美のお父さんは」
母はワタシを麻美と呼ぶ。
「学生時代、バイトでカバンのデザインをやっていたのよ。」
びっくり、初耳である。
父は、某県立高校から今で言う専門学校のK沢デザインへ行った珍しい奴だった。
彼の年代でU高に通っていた人たちは、皆、国立の、
所謂高学歴と見なされるような大学へ行くのが当たり前の進路選択だったそうで
K沢に行くと言い出した父に、気でも狂ったかと学校も、祖母も
(祖母にしてみれば泣いて)お願いだからそれは考え直してくれ、
何も態々学位ももらえないようなところへ行かなくてもいいだろう、みたいなことを
と言ったらしい。そういう話を、父からは笑い話として、
母からもやはり笑い話として、そして祖母からは人生の心残り?
理解しがたい家族の歴史?として自分は聞かされていた。
「バッグ、かっちり、すっきりとしたデザインが好きだったのよねぇ。」
K沢に行く前は、G大の建築を目指してた話、したっけ?」
「いえ、それ初耳。」
「一次を通って、それを通った直後に何を思ったかK沢行くって進路を変更したのよ。」
「へー。」
建築。ワタシは勉強したわけではないし、詳しくもないが、
建物の類、地図も含めて見取り図やら図面を見ているのは
実は好きなのである。そしてカバンが好きなのも、
かっちり、スッキリとしたデザインがすきなのも同様だ。
「麻美のカバン好きなところは、お父さんから来ているのかしらね。
お父さんはニットが専門だったのは麻美も覚えているでしょう?」
父は、ニット以外のものも手がけたが、ニットが一番好きだった。
だから、ニット製品のサンプルっていうのは家によくあって、
子供の頃から、ニットのものだけは、なんだか質の良いものを
着せてもらっていた。もちろん、そんな物の良さなど分からずに
普通に着ていたわけだけれども。
ふと思ったので聞いてみた。
「なんでニットが好きだったのかな?」
「毛を選んで、糸にしてって、編んでって
ゼロから自分で創っていくところがいいって。
そういう部分が建築と共通するって言ってたわよ。」
電車を下り、階段を登り、家のあるブロックの角を曲がる頃には
話が終わっていたが、ワタシの頭の中では
「へー」がいくつも、いくつも連発の状態で、その余韻は、今朝になっても消えなかった。
ちょっと大きなパズルを解いたような、不思議な後味、そんな感じに今はなってきている。